山鹿のその相良観音さんの、このちょっと北の方ですね、日向村あるじゃないですか?日向が。お父さんの墓がここにあるんだから、神武さん当然菊池の出身やないですか?山鹿の出身。どっちでも良いです。大菊池の出身ですよ。それでその後ですね、熊本にいらっしゃった平野雅嚝(まさひろ)さんという方が、『火ノ国山門』考において、神武さんの胞衣(えな)が埋められた塚があるというのを、これもですね、高森、旧蘇陽(そよう)町ですか、あそこにあるっていう伝承があって、それを調べに行っていた。
それをまた古川さんがちゃんと調べに行かれた。今そこは幣立(へいたて)神宮の宮司の物になっているらしいですがね。つまり神武天皇が本当に生まれた場所というのが旧蘇陽町の高森の所にあるんですよ。とんでもないことになって来ましたね。それでそのお父さんの吾平山陵があると思われる所のすぐ近くに日向があるわけでしょ?じゃ、古事記は正確ですよね?この菊池の近く、山鹿の近くの日向から筑紫においでになった。
非常に短いですよ。私先程の年表の中にウガヤフキアエズノミコトが神武歌謡という中で詠われているあのお佐賀の大室屋を攻撃した、これが83年の出来事かもしれないて言いましたでしょ。そのお佐賀の大室屋が、これが吉野ケ里遺跡の前期環濠集落のことであったとすれば、ここから出て行ったウガヤフキアエズさん、もしくは神武さんが吉野ケ里を滅ぼして、そして博多湾まで出ていくという、その失われた伝承が、この土地の大本に残されていたわけですよ。
これがまず一点です。神武さんはどこから来たか?古事記の日向は、あるいは山鹿の日向かもしれん。あの吾平山陵の近くかもしれん。そうした時に、これはもう中原先生の(*不明)です。ほら、この古代湖、茂賀(もが)の浦と、そして神々の足跡という題名になっておりますが、遺跡が示すんです。もうこの通りなんです。で、みなさんがどの程度神武紀をご存知かわかりませんが、神武が最初に結婚した相手誰ですか?
アヒラツヒメですよ。吾平山陵のアヒラツヒメですよ。その間に生まれたのが誰ですか?タギシミミノミコトですよ。神武さんと一緒に東征をやらかした皇子タギシミミですよ。彼が大王に即位しながら、3年でカムヌナカワノミコトという、これが香春の土地のお姫さんとの、妃との間に生まれたイスズヒメとの間に生まれた、あの皇子に弑される、暗殺されるんです。もう一回行きましょ?
タギシミミノミコトはここの出身です。吾平の出身です。このアヒラツヒメの血を引く神武との間の皇子が不当にも香春の土地で、新王朝の都の土地で暗殺された。じゃあ、この土地の人々は、この土地に残された親戚どう思います?腹かくでしょう?さっきの年表にある通りですよ。倭国大乱が何でタギシミミノミコトの暗殺、カムヤイミミノミコトの死後に起こるんですか?私この現地に立った時に初めて解けたんですよ。
そらぁ、この地元出身の皇子が殺されりゃ、こらぁ、人間としてね、そんな安穏としていられませんわね。新しい王国が北部九州に、どでかく広範囲に広がった。その2代目、アヒラツヒメ、この現地のお姫様の血を引く皇子が、大王が殺された。乱の元でしょう?