だから、香春岳の西に取水口をとって、それを地下水路を這わしちゃうと、あそこは地表が酸性の毒水になっても、飲み水が取れるし、農業がおこなえるわけですよ。だから、あの時の斉明さんにとっては、まさしく国家事業なんですよ。民と共に生きなかったら、天皇家だって米が食えないんですから。だから、やっぱり人口延べにして数万人という人夫を使って、そういう渠を作られた。
その後が、600年代に作られた渠が、今も現役で活躍しとるんです。奈良県の、あの亀の形をした狂心の渠なんて「偽物」だって、すぐわかるでしょ?香春は今、「現役」です。今でも、「飲める」んです。ほら、香山に執着して執着して執着して、斉明天皇の狂心の渠まで、私が掘ったわけじゃないですけど、地元のお百姓さん、みんな知ってますもん。面白い事件がありましてね。
その水路の北側の所で、ガソリンスタンドがつくられて、ある時、そのガソリンスタンドの地下タンクの底が抜けたんですって。そしたら、香春の人たちは何て、噂したか。「あ、これでガソリンが全部、香春の町に行きわたってしまう」みなさん、この水路知ってたんです。その通り、ガソリンが香春の町中に溢れちゃった。それを、西日本新聞が、ある時、記事にしたっち言うんですけどね、それは、柳井さんに探してくれって言っとりますがね。
今日、菊池の人たちに初めて話しましたよ。面白いでしょ?これが、その香春の弥生時代の遺跡図です。どうもここに、神武天皇さん、前の人々たちを征伐して、ここに都を建てられたらしいんですね。ここが、その遺跡図で、これ本当に貴重なね、昔の、したがって、神武さんが建てられたのが、邪馬台(やまと)の国。だから、最初にお話しした「邪馬臺国」(やまだいこく/やまとのくに)、邪馬台国(やまたいこく)は当然、神武さんがつくられたんですよ。
よろしいですよね?合いますよね?神武さんが建てたから、邪馬台の国なんでしょ?だから、私は通説の学者よりも大変なこと言っとるんですよ。この後、年表出しますけど。121年、神武さん即位。これが、邪馬台(倭)王朝の始まりなんですから。私は、通説と全然違って、2世紀初めに、神武さんは香春の土地で、邪馬台(倭)王朝を開いた!って言っとるわけです。みなさん、聞かれたことないですよね?
はい、これでよかとです。さぁ、もう一つの証拠です。これは求菩提山縁起ですね。その求菩提山縁起の中にですね、驚いたことに、神武さんのお話が載っかっとるんですわ。求菩提山、英彦山に繋がる所です。豊前の真ん中に立っとる山ですね。ここにですね、<
神武天皇揺鋒端平中國令撥威奴邪神政九州到此嶺齋祭天神地衹僂立龍駕所曰狹野嶽天皇尊號故也
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「神武天皇鋒端(ほこ)を揺し~」ですね、「~中国(なかつくに)を平らげ、威奴の~」委奴ですね、あれ、字が違いますけど。威力の「威」と書いて、「奴」隷ですね。「~威奴の邪神を撥(はら)はしめ、九州を政(おさ)む」と書いてあるんですね。で、あと「~此の嶺に到りて天神地衹(ちぎ)を齋祭(まつ)り、しばしば、龍駕(りょうが)を立てし所を狹野嶽(さのだけ)と曰ふ。天皇の尊の、尊號(そんごう)の故なり」と書いてあるわけですね。
これ、すごいこと書いてありますでしょ?あそこに「威奴」が出てますでしょ?別の字で。これが、あの「金印」の「委奴」です。「いぬ」です。これ、国内資料です。
威奴の邪神をやっつけて、邪馬台国、倭の国を始められたんでしょ?求菩提山縁起に、それ書いてあるんですよ。ここにですね、またそこにですね、<
人王(にんのう)卄(にじゅう)七代継體天皇
>、あの数え方またおかしいんです、27代。日本書紀では、26代です。これ、27代です。