掘ったらですね、岩戸が出てきたと、岩戸が。「あぁ、これは…これは、大変な人のお墓や」と、「とてもじゃないけど、うちの先祖の墓じゃない」と。慌てて、埋め戻したっち言うんですよ。この時の話がですね、今でも覚えとりますけどね、とにかく掘ったら、ちょっと掘ったら、「ビー玉」が出てきたっち言うたんです。何のことかわかります?「ガラス玉」ですよ。これが弥生時代の円墳なんでしょ?
じゃあ、弥生時代のガラス玉です。並みの人の持ち物じゃないですよね?だからその、箕野さんていう方ね、そのビー玉ね、拾っといてくれてればね、良かったんですけどね。私なんか、見たらわかるんですよ、すぐ。弥生時代の工房の跡で作られた物かどうかね。でも、しかし、その時箕野さんは拾わなかったわけですから、今も埋まってるはずなんです。香春町の教育委員会がですね、出来たら予算がつけば、これを掘るといって、まだ掘られてないですねぇ…掘ったら、出てきますよね。
岩戸押し開けたら何か出てきますよね?大変な墓ですよね。楽しみにしてます。ありがたいことに、明治時代の役人が下の所を河内王陵の参考陵にしましたが、これは手付かずですから、掘れます。楽です。だから、嬉し恥ずかしですね。はい、次が「鏡乃池」(かがみのいけ)で、これは神功皇后関係ですね。私は最初、神功皇后紀の研究から入りましたので、この鏡乃池
を訪ねて行ったんですよ。
その案内に従って行ったら、ある民家の庭に入っちゃったんです。「あぁ、間違ごうた」と思って、引き返そうと思ったら、玄関先から柳井秀清さんという方が出てこられて、「あなたたち、鏡乃池見に来らっしゃったとでしょ?ここでよかとですよ」てな感じで。それで私が、こういうあの神功皇后探しとるって話をしたら、「じゃあ、香春にはもっと色んな所があるから、見て行きまっせんか?」って案内されたのが、さっきの「おほきんさん」の墓なんですよ。
もう私、目パチクリさせて、「何でこんな所におほきんさん?はぁー」てな感じで、もうそれからがここの虜(とりこ)になりましてね。柳井さんに色々案内されて、そして柳井さんと付き合うこと十数年、これが一昨年ですか、一昨年ようやくですね、あの香春の町の中にですね、「謎の地下水路」があると。しかも、サイフォン式だと。地元では吹き出しと呼びよると。ね?大事なことはですよ、歴史に強い方はおわかりでしょ?
斉明天皇の「狂心の渠」(たぶれごころのみぞ)って話、覚えてらっしゃいます?あの狂心(きょうしん)の渠。あれは、香山(かぐやま)の西からって書いてあるんですよ。私アホやから、香春に十数年通いながら、香山のさっきあったあの山の西の台地ばっかり探しよったんです。とんでもない見当違いだったです。東の国道沿いに、謎の地下水路がある。しかも石組み、サイフォン式。密閉されてて、それがまかり間違って、それ傷つけたら、水がバァーっと吹き出すと。
今でも、現役の水路なんですよ。香春町が、渇水対策のために、その地下水路の一部の岩原(いわばる)という所で、臨時のですね、緊急の対策用の水道設備をこしらえとるくらいです。だから私、この国で斉明天皇の狂心の渠、再発見したんですよ。地元の人たちは、江戸時代に作ったんやないかと、のんびりなこと言ったんです。違いますよ、これ斉明天皇の狂心の渠ですよ。
見つかったんですよ。すごいんです。もう一回行きましょ。香山というのは、豊後にある由布岳(ゆふだけ)とか鶴見岳とか、あの噴火を受けて、その影響を受けて、あの山が全山真っ白だったんです。酸性雨が降ったりして。斉明天皇、あるいはその前の、重祚(ちょうそ)前の皇極天皇の頃、日本書紀読んだら、すぐわかります。その火山の、酸性雨の影響か何かで、地表の水はみんな腐っちゃったんです。
だから、魚がみんな死んで浮き上がって、もう臭かったと。そういう記録が日本書紀書いてあります。これは、香春の人たちは当時の王朝が、水が飲めない、米が作れない、大変な時だったんです。だから、当時の人々の最高の技術を集めて、あの香春岳が石灰岩でしょうが?だから、その酸性の水が、あの石灰岩を通ってくると、弱アルカリに変わって名水になるんですよ。