これは私がもう一つのテーマで、ずーっと探っておりましたけども、この神武に関係しますね。神武はとにかく、日本書紀の神武天皇紀の中においてはですね、彼は天香山というのを攻略します。この天香山が奈良県だったら、もう私の仮説は一切成り立たないわけです。で、一番有名な、百人一首にも採られた<春過ぎて夏来るらし白妙の衣乾したり天の香来山>という歌があります。
あれが奈良県では全然当たらないと、海抜148メートル程度のへちゃむくれの山なんです。これが全然意味がわからない。僕も高校の時に、古典の先生に聞いて怒られたくらいですね。「先生、これどこが名歌なんですか?」って。人の衣が干してあって、どこが名歌なんですかと。それが何で夏が来たという証拠なんですかと。そういうこと聞いた覚えが私もあります。
その時の国語の先生は「知らん」と。「俺がわかっとったら、今頃博士になっとるわい」ちな感じで怒られましたけどね。私もうその自分の問いかけから50年近く、ようやくわかりました。で、ここに書いてありますように、これ昭和10年の香春岳、今もう手前の一ノ岳は、もうセメントの材料に、この石灰石がどんどんどんどん掘られて、もう200メートルもないですね…情けない有様になっております。
これだろうと。これは唐に渡った最澄さんが、唐から帰ってきた時に、神仏に祈った。そのおかげで、やっと草木が生えたという伝承があります。もう一つ香春の土地には面白い伝承がありまして、天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)という人が、英彦山から下りてきた、この香春までやってきた、ところが土地の神さんが天忍穂耳命を受け入れてくんなかったと、それで天忍穂耳命は腹かいて、それでここの草木を全部抜いて、英彦山に帰ってしまったという。
およそ何年ですかね、神代の巻からでしょ、平安時代まで、まぁ豊後の火山活動のせいで、このお山は草木がなかったんです。先程、一ノ岳について説明しましたように、これ全山、石灰石の山ですから、「真っ白」なんですこれが。だから、<春過ぎて夏来るらし白妙の衣乾したり天の香来山>と詠まれた頃には、詠われた頃には、これ全山真っ白なんです。夏は、日本国どこもかしこも「緑一色」です。
その万緑の中に500メートル級の山、三山が真っ白に照り輝いてるんです。想像してください。だから、あれは人間の衣じゃなかったんです。この天地自然を造り給うた神が、白妙の衣を乾してあるかのように、全山、全体が緑の中に、天香山だけが真っ白に照り輝いているよという、雄大な実景描写の歌だったんです。納得いきますでしょう?私、国語の教員やってて35年、納得いかなかったんですよ。
私国語の教師ですから、大学で教わった通りに、万葉集は雄大な景色を、率直に描写した歌なんだと、歌集だったと言われた。ところが何、人の衣が干してあって、それが衣干ししてあるから、それで何で夏が来たんじゃいという。意味がわかんなかった。ところが、この山の歌だったと考えたら、もう成り立ちますでしょう?これ全山真っ白、周りは緑、だから「万緑草中白三山」ですよ。
「緑」と「白」の対比。これを今までどの国文学者も言ってこなかったんですよ。何せ、本物知らないから。私はこれだ!って言ったんです。これが天香山なんです。そうしました時にね、もうひとつ面白いのが、この畝尾山です。あの字、ヘンテコでしょ?これ古事記の中にですね、イザナギノミコトがイザナミノミコトが亡くなった後に涙を流すわけですよ、その涙から生まれたのが哭澤女命の神っちゅうんですがね。その神様の修飾語についているのが、香山の畝尾木本に坐す神ってなってるんですよ。